除草・剪定受けたまわります!

人口減は悪か

懐かしの実家近くの借家

少子高齢化というフェーズを迎え、人口減がネガティブな意味を持って語られる今、四国や山陰その他、日本の津々浦々の過疎地域では行政サービスや公共インフラの維持などが難しくなっている自治体が増え、また現状ではなんとか維持できていても、将来的には破綻が見込まれているところは増え続けているといいます。

戦後ベビーブームで88万人という人口のピークをむかえていた高知県は、1985年頃まで80万人台を維持するも、その後は減少の一途をたどり、2023年時点では66万人、2040年の予想では52万人まで減少するとの見込みが発表されている。大正時代で60万人以上いたので、戦前よりも人口が少なくなる見通しだということです。

しかし、人口減というのは本当に悲観的なことなのだろうかと。有名な解剖学者の養老孟司さんの本に書いてあったのですが、そもそも経済成長前提の社会を永続して推し進めるには限界があるという。例えば、人口30万人の高知市が、数十年後には人口が100万人を超え、どんどん発展して大阪や東京のような巨大な都市として栄え、経済も右肩上がりになっていく。高度成長期やバブル期にはこんな展望もまんざら不可能ではないと思ったかもしれません。しかし、実際にはやはり物理的に無理なことは冷静に考えれば当たり前でした。

養老孟司さんの本の中である学者の人によると日本の人口の適正値は7000万〜8000万弱だという意見もあります(根拠は割愛)。加えて、今の少子高齢化、団塊世代や段階ジュニアの高齢化にともなう現役世代の高負担という苦しいフェーズは約30年で、その後は比較的バランスのとれた社会のバランスになるそうなので、やはり“今”をいかに乗り越えるかが我々現役世代の使命というか、課題なのだと思います。

葉山町一色海岸
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人が少ないという贅沢

東京一極集中、首都圏3000万人の殺到するショッピングモールや花火大会や、すし詰め状態のクラブや満員電車を経験したことがある人なら、人口密度が低いことの贅沢さがわかると思います。高知へ帰ったとき思う、道も空も川も山も、ゆったりと存在している。所狭しと家が立ち並ぶ都市部の住宅地に比べて、昔の百姓家の広い敷地の多い田舎の家々。友達や顔見知りでリラックスして楽しめるクラブイベントなど、地方の優れた環境は、都会との対比によって浮き彫りになる。

しかし、人けのない田舎の寂しさというのもそこには付随するし、商売をしてもやはりお客がいなければ成り立たない。余りにも都市部の一極化が進み、陸の孤島と呼ばれる地方では現状のシステムでは経済がまわらなくなってくる。例えば、30代半ば過ぎてから再スタートを切った僕のような造園屋が開業するのは、言い方は悪いですが腐るほど住宅のある東京圏でなければ難しかったと思うし、仮に故郷で起業したいという熱い思いで開業しても、マーケット自体が縮小している地方で、既存の地元業者と仕事のばいあいをし、事業を継続していけるかはかなりハードルが高いと思う(といっても、ゆくゆくは資格や技術を習得して地元の案件も取っていきたいという野望はありますが仕事の話はさておき)。

地方では様々な取り組みがされていると思う。高知県ではどうだろうか。facebookなどを見ても、あまり具体定なビジョンをもって活動しているという話は聞かない。ただし、地方で友人や知人のやっている飲食店などもたくさんあるし、レベルの高い仕事をしている人たちは地方にはたくさんいます。この先人口が減って事業が維持出来なくなるというのは悲しい。なにか将来に向けて、地方独自の方法で生き残っていく社会のあり方を考えていけないものかと思います。

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